美術史知識

日本の木版画史 誕生から浮世絵、新版画、創作版画へと発展した歴史

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日本の木版画といえば、江戸時代に流行した浮世絵が思い浮かぶでしょうか。

江戸時代に限っては爆発的に流行した浮世絵ですが、明治の文明開化によって流れ込んできた銅版画などの外国の版画技術に負けて、結局は衰退してしまいました

 

浮世絵の後、日本で木版画は制作されなくなってしまったのでしょうか?

もちろん、そんなことはありません。

 

浮世絵が始まるまで日本に木版画は存在しなかったのでしょうか?

そんなこともありません。

 

今回の記事では日本の木版画史をテーマにして解説します。

印刷技術として始まった木版画が芸術作品へと至るまでの軌跡を追ってみましょう。

 

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印刷技術としてのスタート

 

まずは、日本における木版画がどのように始まったのかを解説します。

 

現存する日本で最も古い木版画は、8世紀後半に「陀羅尼(だらに)」を印刷したものとされています。

陀羅尼とは仏教における呪文の一種。

覚えて唱えることで、邪念を払えるとされていました。

 

この最古の木版画は、100万にも及ぶ数が印刷された大規模な事業でした。

 

その後も引き続き仏教版画が制作されますが、平安時代には料紙、つまり書を書くための紙の下地も木版画で印刷されるようになりました。

 

日本において木版画は、長らく、宗教上のものであったり、料紙の下地だったりと、いわば脇役、単なる技術として用いられていたのです。

 

 

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浮世絵の誕生

 

印刷技術として、あるいは添え物として始まった木版画。

挿絵や宗教から独立して1枚の絵画としてそれ自体が鑑賞されるようになったのが江戸時代のこと。

浮世絵の誕生です。

 

浮世絵木版画の歴史についてはこちらの記事で詳しく書いてありますが

浮世絵?紅絵?錦絵? 江戸時代の浮世絵木版画を、歴史をなぞりながら図版入りで分かりやすく解説します

 

挿絵から1枚の絵に独立し、色も墨一色や手描きの彩色からフルカラーの多色摺に、という過程をたどって進化しました。

 

歌川広重
東海道五拾三次内 庄野

庶民が手に取り、たくさんの人々がそこに描かれる役者、美人、風景を楽しみました。

 

しかし、明治の文明開化で流入してきた他の複製技術との競争に負け、浮世絵木版画は衰退の一途をたどります

 

 

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新版画という浮世絵の復興活動

 

大正時代になると、渡辺庄三郎という人物が、日本の木版画を再興させる「新版画運動」を始めました。

 

これもこちらの記事に詳細がありますが

新版画運動とは? 新しく懐かしく美しい、浮世絵からつながる大正時代の木版画

新版画とは浮世絵の復活を目指した活動でした。

 

川瀬巴水
冬の月戸山の原

 

浮世絵は、絵師がひとりで描いて彫って摺って売るわけではありません。

 

「版元制度」という、図案を制作する絵師と、それを版木に彫る彫師と、版木から紙に印刷する摺師、企画立案から売却までを手掛けるプロデューサー版元が、共同して1枚の作品をお客さんに届ける体制になっていました。

 

新版画においてはこの制度が引き継がれます。

 

高度な技術が必要な彫や摺を腕の立つ職人が行うことで、技術的難度の高い版画制作が可能でした。

 

また、海外に向けて多くの作品が輸出されことも特徴的です。

 

海外で大いに受け入れられた新版画ですが、1962年、中心人物である渡辺庄三郎の逝去とともに衰退してしまいます。

最終的には衰退してしまいましたが、江戸時代の浮世絵衰退後の版画界を支えた重要な活動だったことは間違いないでしょう。

 

 

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創作版画のはじまり

 

1900年代、新版画運動が展開される一方で、ヨーロッパの美術を学んだ芸術家である「画家」が、表現技法としての木版画に目を付けるようになりました。

 

そんな中、ヨーロッパで版画を学んだ山本鼎(やまもとかなえ)という人物が出てきます。

 

小口木版の彫師であり画学生でもあった山本鼎は、西洋の版画に学び、「創作版画」という新しい木版画の形を生み出します

画家自らが図案を考え、そして自らの手で彫りと摺りを行うという、今までの日本の木版画とは全く違う体制で制作活動を始めたのです。

これを「自画自刻自摺(じがじこくじしゅう)」と言います。

 

山本鼎は1918年、日本創作版画協会を立ち上げます。

技法書や版画雑誌の出版、講習会の開催などを行い、創作版画の普及に努めました

 

画家自らが彫や摺を行わなければいけないため、専業の職人なら可能であった表現はできません。

ですが、版木を介するという効果を画家が身をもって知り、彫や摺の段階に入ってからでも変更を加えられる自由度を生かすことで、様々な試行錯誤が行われました

 

1904年、与謝野鉄幹らが創刊した『明星』という文芸誌において、山本鼎が創作版画の第一作となる作品を発表しました。

 

漁夫 1904年

 

浮世絵に代表される今までの木版画とは一線を画した新しさが見られるこの作品は、友人の石井柏亭からこうコメントされます。

 

「友人山本鼎君小口彫刻と絵画の素養とをもって画家的木版を創る。刀は乃ち筆なり」

 

仏教における呪文の印刷から始まった日本の木版画は、料紙の下地、物語の挿絵、庶民の娯楽、海外向けの輸出産業という過程を経て、芸術家たる画家にとってのひとつの表現手法として認められるまでになったのです。

 

 

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まとめ 単なる技術が芸術に

 

木版画は単なる技術として始まりました。

しかしその独特の風合いや独創的な人物たちによって、芸術の域まで高められたのです。

 

以上、最後までお付き合いいただきありがとうございました♪

 

日本の木版画傑作まとめ 10人の木版画家による10作品をマニアが厳選!

 

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