美術史知識

小原古邨 清らかで美しい木版画絵師を、作品と共にご紹介します

更新日:

 

小原古邨(おはら こそん)。

2018年まで全くと言ってよいほど知られていなかった絵師の名が、ようやく知られるようになりました。

 

2019年2月には東京原宿・太田記念美術館で企画展が開催されます。

この記事では、小原古邨について、図版を多めにご紹介しながらその魅力をお伝えします。

 

ちなみに筆者が古邨のファンになったのは2015年くらいのこと。

短くもないですが長くはないですね。

 

それでも、胸を張って言いましょう。

 

 

小原古邨が大好きだ!!!

 

 

スポンサーリンク

小原古邨の作品

 

まずは古邨の作品を7点ご紹介します。

縦長の作品が多いのですが、ちょっと辛抱してスクロールしてみていただけると嬉しいです。

 

紫陽花に雀

 

雪の柳に烏

 

浪に燕

 

猫と提灯

 

月に雁

 

蓮に雀

 

踊る狐

 

洗練されすっきりとした味わいが伝わってきますね。

では、作品をご覧いただいたところで、古邨の解説をはじめます。

 

 

スポンサーリンク

謎多き花鳥画絵師

 

小原古邨は1877年、石川県金沢市で生まれました。

 

浮世絵に代表される伝統的な日本の木版画と同様に、古邨の作品はプロデューサー版元彫師・摺師ら職人とともに共同で制作されています。

チームの中で古邨は、図案を描く役割を担っていました。

 

古邨の作品数は500点とも600点とも1,000点ともいわれています。

その多さは驚異的、尋常ではありません。

 

柿に目白

 

にも関らず、古邨の人物像や来歴には不明な点が多く、そもそもついこの間まで名前すらほとんど知られていませんでした。

おびただしい数の花鳥木版画が残っており、稀有なコレクターにより愛されてきたのは確かですが、ただそれだけなのです。

 

これには、当時の花鳥画の位置づけが一因と見られます。

花鳥画は陶器の絵付けなど、工芸品を装飾するための図版の一種という側面があり、芸術的対象としては高い評価を得にくかったのです。

 

また、関東大震災による記録の消失も、古邨の名を歴史に埋もれさせてしまう要因のひとつであったと考えられるでしょう。

 

 

スポンサーリンク

海外で受け入れられた古邨

 

古邨は花鳥画を多く描きました。

ここで言う花鳥画とは、花と鳥だけでなく小動物なども含めた広い意味での花鳥画です。

 

明治から昭和にかけては、日本の木版画を海外へ輸出する活動が盛んに行われていました。

古邨もまた、海外への輸出を念頭に置いて作品を制作していました。

 

花鳥画は、海外向けの題材としては有効でした。

というのも、花鳥画に文化的背景の違いはあまり関係ありません

美しい生き物が描かれていれさえすれば売れるのです。

 

有明月に木莬

 

そのかわり、ストーリーに頼れない分、花鳥画には作品そのものの視覚的な魅力が欠かせませんが、古邨は見事にその期待に応えます。

丁寧に描かれたモティーフたちは、静かに凛と画面に存在感を放ち、見る者をこの清らかで美しい世界へと引き込んでいきます。

 

その魅力は海外で高く評価され、古邨の作品は飛ぶように売れていきました。

 

 

スポンサーリンク

古邨と版元、改名

 

古邨の木版画は日本の伝統的な木版画制作と同じ工程で制作されました。

プロデューサーである版元がいて、図案を描く絵師がいて、版木に彫る彫師と紙に摺る摺師がいる、という完全分業体制ですね。

 

古邨はまず、版元である大黒屋や滑稽堂とともに仕事をしました。

 

どのようにして大黒屋らと仕事をするに至ったのかはあまり明らかではありませんが、主に輸出向けに花鳥画を制作していきます

大黒屋は1923年の関東大震災によって致命的な被害を受け、店を閉めざるを得なくなってしまい、以降、古邨との共作は叶わぬこととなりました。

 

跳ねる鯉

 

とはいえ古邨は、大黒屋が震災により閉店する前から、古邨は別の版元、渡辺版画店と仕事をするようになっていました。

1926年には名も「祥邨」と改め、渡辺版画店とともに精力的に作画をしていきます。

 

版元も名も変えましたが、海外での人気は変わらず。

 

例えば1933年ポーランドのワルシャワで開かれた国際版画展覧会では、伊藤深水や川瀬巴水ら名だたる巨匠らが出品していましたが、最も売れたのが古邨の花鳥画だったという資料もあります。

 

古邨の作品は値段が安かったという理由はあるようですが、古邨の人気を表す例のひとつではあるでしょう。

 

渡辺版画店との共作の後、別の版元である酒井・川口商会と組んで、名も「豊邨」と変えて活動している形跡がありますが、これもまた詳細は分かっていません。

 

紅梅に鷽

 

古邨は1942年には隠居届を出して筆を置き、1945年1月に亡くなりました。

 

 

スポンサーリンク

2018年は小原古邨元年

 

日本でほとんど名を知られていなかった古邨ですが、2018年秋には企画展や画集の発売などが次々と行われました。

 

茅ケ崎市美術館にて小原古邨展が開催され、画集も2018年中に2冊発売されています。

 

created by Rinker
¥6,480 (2019/08/19 16:37:39時点 Amazon調べ-詳細)

 

こんなこと、2018年の春まで全く予想していませんでした。

なにせ、画集が世界でたった1種類、しかもオランダ発の英語版、という状態だったのですから。

 

嬉しい限りです。

 

※ この古邨ブームについてはこちらの記事に詳しく書きましたので、気になる方はご参考までにどうぞ。

 

 

スポンサーリンク

まとめ ともかく作品を楽しみましょう

 

小原古邨は謎多き人物です。

ですが、海外を中心に人気を博し、作品が現代まで残されているのも確かです。

 

好きな絵師については背景や思想、来歴を知りたくなります。

でも古邨を楽しむには、作品と向き合うだけで充分なのかもしれませんね。

 

雪中の雀

 

 

以上、最後までお付き合いいただきありがとうございました♪

 

記事の更新情報をTwitterでお知らせしています

-美術史知識
-, ,

Copyright© ぷらりあーと , 2019 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.