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グスタフ・クリムト【2019年春が熱い!】世紀末ウィーンできらめいた画家の生涯や作例をご紹介します

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グスタフ・クリムト(1862~1918年)の作品を初めてじかに見たのは、ニューヨークにある小さな美術館、ノイエ・ギャラリーにて。

 

ちょうどその日は何かの記念日だったのか、入場料が無料だったことを覚えています。

 

階段で2階に上がって絵画が展示されている部屋に進むと、右手の方に、それはありました。

 

1907年
アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ

 

煌びやかでうっとりするような画面に誘われて、じっと見つめて恍惚感に浸り、なかなかその場を離れられませんでした。

 

クリムトには、ノイエ・ギャラリーのこの作品のような、明るく装飾的で華やかな女性像を描いたイメージがあるでしょうか。

 

確かに、クリムトはそのような作品も多数制作しました。

耽美的、と表現される独特の雰囲気の作品ですね。

 

ですが、印象派のような点描に近い風景画も私的に制作したりもしています。

この記事では、クリムトについて、風景画というあまり有名でないところも含めて、その生涯や作例をご紹介します。

 

 

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生涯概略

誕生から初期の活動

グスタフ・クリムトは、1862年、世紀末のウィーン近郊で生まれました。

ほどなく家族そろってウィーン市内に引越し、ウィーン市民として育ちます。

 

もともと裕福ではない家だったうえ、1873年のウィーン万博が経済的に失敗に終わったことで、クリムト家の経済状況はあまりよくありませんでした。

そのため、クリムトはアカデミックな美術学校ではなく、実践的な美術専門学校に進むことになります。

 

はじめ、クリムトは美術商会である「芸術家カンパニー」を設立します。

1883年に設立されたこの組織は、劇場の装飾画を受注するなど順調に活動していました。

しかし、1892年、カンパニーの創設者のひとりであった弟エルンストが亡くなると、解散されてしまいます。

 

天井画事件

1894年頃、32歳の時、文部省からウィーン大学講堂の天井画を描いてくれないか、との依頼が来ます。

公的機関からの大作のオファーです。

 

クリムトは応じ、「哲学」「医学」「法学」をテーマに力作3点を制作。

 

1907年
医学(部分)

 

しかしこれがダメでした……!

 

わかりにくい。

意味不明。

 

評価は散々でした。

 

嫌気がさしたクリムトは、この3点を撤収させてしまいます。

 

富裕層の支持

その後クリムトは、保守的な美術協会である「ウィーン美術家協会」を脱退し、独自の新しい美を追求する「分離派」を結成します。

 

「分離」してしまったため、公共施設の壁画などの注文はなくなりました。

替わりとなったのが、肖像画を依頼してくる富裕層

彼らに支えられ、クリムトは制作活動をつづけることができたのです。

 

晩年

それからもまた紆余曲折はありますが、何かの会に入ったり、脱退したり、評価されたり、批判されたり、というまあ言ってしまえばありがちな画家人生を歩み、1918年、56歳で脳卒中で逝去します。

 

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肖像画

 

クリムトは、個人によって発注された肖像画を数多く手がけました

大抵の作家の場合、これはいい!という素晴らしい肖像画に出会ったことはあまりありませんが、クリムトの肖像画はいいと思います。

 

だいたいの画家にとって、肖像画は家計を支えるための「お仕事」で、明図からの内面から湧き上がってくるパッションを表現した「芸術作品」ではないからでしょうか。

 

もちろん「お仕事」であった点はクリムトも同じです。

ですが、クリムトは女性像を多く受注しました。

 

クリムトは女の人、好きですよね。

 

大好きですよね。

 

ああ、このモデルさん、好みだったんだろうな、と分かるような、明らかに熱心に制作された肖像画があるのです。

そしてそれは、人をぐっと惹きつける力を持っています。

 

とはいえ、注文主のお気に召さない作品もあったそうで。

 

こちらの作品などは、モデル本人にもその家族にも嫌がられ、飾られることはありませんでした。

1905年
マルガレーテ・ストンボロー=ヴィトゲンシュタインの肖像

この作品は後日、ミュンヘンの美術館に買い取られることになります。

 

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風景画

 

風景画を描く画家はそう珍しくなく、クリムトもそのひとりです。

 

クリムトにおける風景画は、誰かに頼まれた「お仕事」ではなく、趣味の世界だったと言われます。

新印象派の点描画のような作品や、花が咲き乱れる生命力あふれた景色、静かな湖など、クリムトが楽しんで描いていたことが伝わってくる作品ばかりです。

1912年
薔薇の咲く果実園

特徴的なのは画面の形

初期は縦長の作品も作りましたが、正方形の画面が多いのです。

縦や横に広がり伸びる風景ではなく、閉じているような感覚を描きたかったのでしょうか。

1899年
カンマー城のお静かな池

注文主のないごく私的な絵画では、クリムトは遊ぶように自由に工夫しながら楽しんでいたのかもしれません。

 

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余談 クリムトの女性関係

 

クリムトは生涯独身を貫きました。

とはいえ、女性遍歴はおそらくものすごいものだったと思われます。

 

母と姉妹のいる実家でぬくぬくと生活していたクリムト。

家では、血縁者とはいえ女性ばかり

 

モデルも女性ばかりで、アトリエには常に女性がたくさんいたそうです。

当然モティーフも女性ばかりになりますね。

 

クリムトは常に女性に囲まれて生きていました

 

家族は別として、彼女らとどういった関係を結んだのかは分かりませんが、クリムトの死後、14人もの婚外子が遺産相続権を主張したと言います。

多すぎでしょウィーク!

 

ただ、エミーリエ・フレーゲという女性は特別だったようで、クリムトとは恋愛関係でもなくただのお友達でもない、独特の関係を保ち続けました。

1902-04年
エミーリエ・フレーゲの肖像

クリムトが30歳頃の時に出会ったエミーリエ・フレーゲは、特殊ながらも「生涯の伴侶」でした。

死の直前、クリムトが発した最期の言葉は「エミーリエを呼んでほしい」だったと伝えられています。

 

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2019年春はクリムト!

 

2019年春はクリムトの季節になるでしょう!

 

まず2019年4月23日から東京都美術館で「クリムト展」が開催され、翌日4月24日には国立新美術館で「ウィーン・モダン展」が開催予定です。

ちょっと気が早いですが、今からわくわくして待っています。

 

クリムト展の公式ホームページはこちら

https://klimt2019.jp/

ウィーン・モダン展の公式ホームページはこちら

https://artexhibition.jp/wienmodern2019/

 

 

以上、クリムトについてご紹介しました。

 

なお、東京美術からこちらの画集が出版されています。

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図版の充実ぶりがものすごいのでおすすめです。

よろしければどうぞ。

 

ではでは、最後までお付き合いいただきありがとうございました♪

 

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